イメージとの距離
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昨年から、月に一度のペースで銅版画の教室に通っている。ここ数年、自分たちが印刷の工程に直接触れる仕事が増えたことや、山形の吉勝制作所を訪ねる機会が重なり、版を作ることへの興味が膨らんできたことがきっかけ。製版の練習と題して、仕事の合間に版画のことを考える日々が続いている。
モニタの前で多くの時間を過ごす自分たちにとって、金属を版に仕立てる作業のすべてが新鮮で、いつも時間を忘れてしまう。あらゆる工程で物とその作用に直接触れていること、その手付きが刷り上がりに響いている(ように見える)ことの全てが面白い。分からないことだらけなので、ひとつずつ順番に工程を覚える。緩やかなペースなので、忘れてはまた覚えるの繰り返し。
銅板の四辺を金物のやすりで斜めに削る。スクレーパーを使ってさらに削り、機械油をつけたバニッシャーで整える。裏側に腐食止めのシートを貼り込んで、表面に傷があれば自分の顔が映るようになるまでやすりと金属磨きで仕上げる。プレートマークを入れる下拵えの作業ひとつとっても、手と目で推し量ることがたくさんあることが愉しい。
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小さな傷、少しの惰性、腐食やプレスの加減に揺られて、少しずつ意図が逸れてゆく。セーブポイントのように経過やバリエーションを保存し、必要があればそこに立ち戻りながら精度を上げていく仕事の中では掴みにくい、ざわざわしたもの。意志とは関係のないところで生まれる分岐を面白がりながら進むやり方を、少しでも普段の手つきに混ぜ込めるとよいのだけれど。
わからないものは最後までわからない。分かる、分からないとは違う歩き方で近づかないといけない。銅板に刻んだ傷の中にインキが入ることで、どうしてあんなに繊細な線が出せるのか。人の領分じゃないところに、何かを預けながらつくることが最近のテーマなのかもしれない。
ドライポイント、エッチング、アクアチント、メゾチント銅版画の基本的な技法に触れながら、いまは小口木版画や活版印刷にも取り組んでいる。プルーフ、廃版といった自分たちにとっても身近な言葉の起源も辿ってみたいし、Youtubeに多くの実例が並ぶキッチンリトグラフのような宅録的なアプローチにも取り組んでみたい。まだ部活動的な取り組みだけど、いろいろと面白い場所に接続できる予感がしている。